#7 DaiGoさん、曰く
Mです。
タイトルは、「孔子曰く」のノリでつけました。
前回のAの日記の内容、マインドコントロールの話は、ドキっとさせられる内容だった。
大人になるにつれて、社交性を求められるにつれて失っていくものは、自己との対峙の時間。周りの人や環境に振り回されて、自分が何をしたいのか?これが好きか?嫌いか?そういったことがわからなくなってくる。
このブログのいちばん最初の記事でも書いたけれど、仕事に追われる日々の中で自分を見失っていることに気がついた私は、仕事を辞めた。
その選択は間違っていなかったと、今でも思える。
代わりに収入は減ったけれど、自分と向き合う時間が出来た。ストレスが消えて、心に余裕が出来た。埋もれていた自分の感情が見えてきたことで、また好きなことに取り組めるようになった。
仕事を辞める時、今までお世話になった人や、楽しくおしゃべりしてくれた人、嬉しい言葉をくれたお客様の事を思うと、名残惜しさがないわけじゃなかった。
でも、自分の幸せを知っているのは自分だけ。自分を幸せに出来るのは自分だけ。
他者を大事にすることは、自分を大事にすることだとも言うけれど、まずは自分を大事にすることで心に余裕が出来て、他人にも優しく出来るようになるんじゃないかな。
そのためのマインドコントロール術を学べたら、優しい世界が実現する、かもしれない、なんて。
DaiGoさんの話
ちょっと文章がとっ散らかって来たけれど、関連する話で最近、youtubeでメンタリストのDaiGoさんの動画をいくつか見た。
最初は美容関連の動画で出てきたのがきっかけで、面白かったので他のもいくつか見た。
動画を撮る場所が様々だったり(猫と本多め)、やたら早口だったり(これには理由があるみたい)して飽きないのでおすすめ。
印象に残ったのが、マルチタスクが幸福度を下げるという話。
例としては、仕事中に何度も(無駄に)確認の電話をしたりメールチェックをしたりする事が作業の能率を下げ、ストレスになり、最終的にその人の幸福度も下げる結果になるということ(ざっくり)。
あ、ついでにIQも下がるらしい(!)。
この動画で私は、前述した受付事務の仕事を思い出していたのだけど、お客様からの(ほぼどうでもいい内容の)電話や来訪がひっきりなしにやってきて、とても仕事に集中出来たもんじゃなかった。対応が雑になることもざらじゃなかった。口には出せないけれどはっきり”邪魔”だと思っていたし、ストレスだった。ようやく集中して取り組めるようになるのは扉を閉めた終業後で、つまりは残業しなきゃ終わらなかった。
接客と事務仕事を両立させるのは、自分の中では”無理”だと結論づけた。
”幸福度”という表現は抽象的だけれど、私の場合そういった業務内容や残業で取られる時間が心や生活を蝕んでいたことが、確実に日常の幸福度を下げていたと言えると思う。
DaiGoさんが言うには、集中して取り組む時間を取ることが、作業能率のアップにも繋がるし(これはもっとも!)、精神にとっても良いらしい。
ここでまた私が思い浮かべた事は、こうしてタイピング作業に集中している時間とか、部活で延々と(バスケの)シュート練習をしていた時とか、あるいは絵を描いている時とか、そういう何もないけど、幸福を感じる時間。自己との対峙の時間。
音楽やASMRも、それに近いかも。
何か一つの事に集中している時って、ドーパミン(?)的な、幸福物質的な何かが身体の中で分泌されているような感覚があるというか、そういう感じがする。
専門家ではないので分からないが、結構近いのではないかと思う。
実際、仕事に追われる生活を止めて、私が「取り戻した!」と感じた感覚はこれだと確信している。
マルチタスクが能率を下げるというのは自分に能力がないせいだと思っていたし、集中する時間がストレスの軽減+日常の幸福度を上げる働きをするというのも自覚がない、新しい観点だった。
私は昔から、よくぼーっとしてるねと言われてきたが、実はぼーっとしているのではなく、何かについてものすごく集中して考えている(大抵は先生のネクタイの柄の幾何学模様の分析とか、黒板の横の壁についた汚れの種類についてとか、しょうもないこと)せいで周りが見えなくなっていたのだ、というカミングアウトをここでしておこう。
今思えば、人よりもそういう時間を多くとる必要がある、ストレスの溜まりやすい性格をしていたのかな?
大人になってそういう時間が強制的に減らされて、ストレスに負けてしまったのだと考えると合点がいく。
++++++
今回は前回のAに引き続き、メンタル系の話を終始してしまったが、もしかするとAにとっても参考になることがあるかもしれないと思った。
あとやっぱり、私が将来エッセイ本を書くことがあったら、イラストはAに任せようと思った(笑)。
次回はもう少し肩の力を抜いて語れるような内容にしたいな。
それでは、また。